気持ちを言葉にすることの意味/自由に「あばれる」ことができる空間の確保

気持ちを言葉にすることの意味/自由に「あばれる」ことができる空間の確保

言葉にすることの意味について考えていました。

自分の考えを、あるいは自分の気持ちを言葉にするというのは大切なことです。言葉にすることで、考えは整理されますし、気持ちも落ち着くことがよくあります。

ところでそれはどうしてだろう、とふと思いました。特に気持ちの方ですね。自分の気持ちを言葉にすることで、ごちゃごちゃしていた気持ちが整理されて、落ち着くというのはもちろん理解できます。

でも、もしかすると、それだけじゃなくて、「自分が制御できる範囲が広がった感覚」があるのかもしれないなと思ったのです。

気持ちが滅入ったり塞いだりする原因の1つに、自分にはどうにもすることができないという状況があります。つまり、自分の無力感が自分を打ちのめすわけですね。

でもそういうところに、自分の働きかけで何かが起きるとか、自分が何かをやることで、物事が変化するという体験があると、その無力感が薄れることになります。

自分の気持ちを言葉にすること、そしてそれによって自分の気持ちが整理されること、それは、まさに自分の行為によって物事が変化するという1つの形かもしれないと思うのです。

言葉にしたからといって、現実世界で何かが変わるわけではないと考える人も多いと思いますけれど、そうじゃないんじゃないかな。

もちろん無力感の逆の危険な状態もあります。自分は何でもできるぞみたいなそういう感覚ですね。でも今はその話はちょっと置いておきます。

今考えたかったのは、そんなふうに、自分の考えや気持ちを言葉にすることが大切だとするならば、適切な言葉を自分の語彙として、自分の中にストックしておくことはとても有意義ではないかと思ったからです。

ある人にとっては、それは前向きなスローガンやキャッチフレーズという形かもしれません。あるいは座右の銘がそれにあたるかも。ある人にとっては、祈りの言葉が自分の無力感から抜け出す1つの手がかりになるかもしれません。

話を広げるなら、自分の無力感から逃れるための手がかりとして、言葉以外の様々な表現方法が当てはまるかもしれません。音楽や、ダンスや、絵画や、あるいは様々な趣味などですね。つまり、自分が自由に何かを動かすことができる空間をどこかに確保しているかどうかということです。もちろん、空間というのは、仮想的なものでも構わないわけですけれど。ゲームにハマる感覚もそこにあるのかもしれませんね。

言葉を使って、自由に振る舞える空間(遊びの空間というか、暴れることができる空間というか、遊び場というか)を確保できているならば、気持ちが揺さぶられたときに体勢を立て直す場所をキープしてるようなものと言えるでしょうか。

もしも、現実の空間においても、仮想的な空間においても、そのような自由にあばれることができる空間が確保できていないとすると、かなり辛い場面がありそうだなと想像します。

それこそ、自分の心の中のモヤモヤをどのように扱ったらいいかわからなくて、現実世界で暴れてしまう場合も多々あるのではないかなと想像します。

そんなことを考えていました。

2023-08-16 05:41:26 +0900

この文章は、音声入力を利用して結城浩のマストドンに投稿したものです。

[icon]

結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

Twitter note 結城メルマガ Mastodon Bluesky Threads Home