文章を書く入れ物について考えているうちに継続の意味について考えていました

文章を書く入れ物について考えているうちに継続の意味について考えていました

入れものや枠組みのことをよく考えます。文章を書くときの枠組みもそうですし、本を作るときの章立ても同じです。広く解釈すれば、自分の仕事場の整理整頓や、本棚の整理や、机の上を片付けること(どのように片付けるか)も、また入れものや枠組みのことと言えるかもしれません。

舞台設定を整えて、制限して制限して、大きな制約をたくさんかけた上で初めて表現できるものがあります。考えはぐるぐる回っていて、気持ちはドロドロに広がっていて、どうやっても形になるものではないので、たくさんの制約をかけることによって無理矢理形にするのです。

入れものを用意しないで文章を書こうとするのは、例えて言うなら、飲み水を届けるのに手ですくって運ぶようなものですし、買い物袋を使わずにたくさんの買いものを全て手でもって運ぼうとするようなものです。そこに何を入れるか、どれだけ入るかは後から考えることにして、まずは入れものを用意する。これです。

入れものの形に、入れるものが影響受けて歪んでしまうことは避けがたいものです。それは仕方がありません。でも、逆に、自分が予定していた形ではない形に歪められることによって生まれる美しさもあります。

すべてを自分が制御できるのが良いとは限らないのです。

入れものを用意してそこに入れていくのは、ルーティンワークと言えなくもありません。そしてそれこそが、まさに、入れものを用意することのメリットであるともいえます。つまりそこには継続の予感があるからです。

繰り返し同じことを考える。繰り返し同じ気持ちを抱く。繰り返し同じところに引っかかる。つまずく。その繰り返しは自分の刻印ともいえます。何度も何度も提示される自分のIDなのです。ですから、その繰り返しをとらえようとして、書く。

それは自分独自でありながら、独自ではありません。自分が繰り返し引っかかるところ、自分が繰り返し気になるもの。その多くは他の人にとっても引っかかるところであり、繰り返し気になるものであったりします。ただそれが完全に同じことはなくて、ほんの少しずつずれています。完全に一致するなら、それは同じ人間ということになりますから。

そうすると、入れものを用意して、自分の考えを文章という形にして、しかもそれを継続することは、自分が誰かを知ることであると同時に、他の人とのつながりを探ることであるともいえます。

あなたと私は何が同じなのか。あなたと私は何が違うのか。それを繰り返し確かめるプロセスです。

朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。

2023-08-17 05:43:14 +0900

この文章は、音声入力を利用して結城浩のマストドンに投稿したものです。

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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