本の執筆作業と分割統治
本の執筆作業と分割統治
毎日、本を書く仕事をしているわけですけれど、いつも思うのは、いかにして仕事を小さく分割して片付けるかというのが大切だということです。いわゆる分割統治ですね。これはほんとにそうです。
極論するならば、いかなる技法もこの分割統治のためにあると言ってもいいんじゃないかと思うほどです。
たくさんの情報をいっぺんに処理できないので、分割するしかないんですね。これは書く側だけではなくて、読む側もそうですから、そもそも分割することは理にかなっているのです。少なくとも人間が人間とコミュニケーションを取る上ではそうです。
本を章に分割することとか、さらに節に分割することとか。節が段落に分かれていることとか。全てがそうです。
仕事をしていると、自然にそのように分割して作業を行うことになるんですけれど、それを積極的に推し進めるという考え方があります。つまり、なんとなく分割統治になるのではなくて、意識的に分割統治するということです。
具体的には、1つの節を書くときに節全体をいっぺんに書こうと思わないということです。今はこの段落に集中する。他の段落のことはいったん忘れる。そのようにして1段落ずつ書き進める。しばらく書いたところでモードを切り替えて、今度は節全体を眺めて段落同士の関係を調べる。これは気持ちのレイヤーを切り替えて、分割統治を行っていることに他なりません。
それを助けてくれるのはアウトライナーなどのツールになりますけれど、アウトライナーを使うか、通常のテキストエディタを使うかというのは、実はあまり大きなポイントでは無いかもしれません。
そうではなくて、今どういうモードで自分が作業しているのか。どのような分割統治を行っているのか。それを踏まえて作業を進めることが大事なのではないかということです。
もちろんそんなに杓子定規に機械的に作業が進まないんですけれど、基本的にはしっかり分割して、その小さな部分に意識を集中させるのが大事なのです。
今便宜上小さな部分と言いましたけれど、実際には小さな部分とは限りません。抽象度を上げて作業をしているときには、物理的に大きな単位をまとめて扱うことはよくあります。章の構成を考えているときには節を扱いますし、本全体の構成を考えているときには章を扱います。つまり、その抽象度のレイヤーに合わせて扱う対象は変化します。それを意識するということです。
それはプログラミングとよく似ていますね。プログラミングはプログラムという大きなものを構成していますし、本の執筆では、本という大きなものを構成しています。具体的にやっている作業は違いますけれど、ちょっと抽象度をあげれば、どちらも大きなものを構成するために分割統治を行っていることになります。
ところで、そのようにしていろんなレイヤーで分割統治を行って、次第に完成に向かうわけですけれど、もしかしたら、結局のところやっている作業内容は同じなのではないかという疑問も浮かびます。分割統治しようがしまいが、同じことをやっているんじゃないかということです。
そうかもしれませんけれど、大事なのは、どれだけ作業が進んだか、作業者が意識できる所が重要じゃないでしょうか。別の言い方をすると、「ここの部分はもうできた」「ここの部分はまだまだできていない」のように進行状況を把握できるということです。
分割することによって「ここの部分」という参照が可能になるということもできます。分割しなければ全体がもやもやとしていますから、ここの部分もあそこの部分もありません。指を指して「この部分」というためにこそ分割はあるのでしょう。
実のところ、作業自体も分割せざるをえないといえます。というのは、1日に働ける時間は限られていますから、その働ける時間のスロットにどのような作業を割り当てるかを考える必要があります。そんなに機械的には行きませんけれど、目安としてそういう割り当てが必要になるでしょう。
そしてそのときにもまた「今日はこの部分に取り組もう」のように参照する必要があります。ですから、大きな成果物を部分に分けておくということは、本質的に大切なのだと思います。
さらに、意識して分割統治するという先ほどの考えに則って言うなら、「今日はこの部分に取り組もう」というだけではなくて、「今日の午前中は」「今日の午後は」のように、さらに細分化することも有益でしょう。
しかし、何事も物事には程度問題というのがあって、この細分化をやりすぎてはいけません。なぜなら、時間を細分化することによって、今度はたくさんの時間という新たな管理すべきものが生まれてしまうからです。そもそも、たくさんのものを1度に扱うことが難しいというので分割統治を行っているのです。それにもかかわらず、たくさんの細かい時間とたくさんの細かい作業を作り出して、全て管理しようと思っては本末転倒です。
ここには教訓があります。1つのストラテジーを極限まで推し進めることの危険性です。作業を分割すればいいだろうといって極限まで分割してはいけません。なぜなら今度は統治が難しくなるからです。
朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。
* * *
今回の話題も、加筆修正の後にメールマガジンの読みものにしたいですね。
いつもお読みくださりありがとうございます。
今日もまた素敵な1日になりますように。
毎日、本を書く仕事をしているわけですけれど、いつも思うのは、いかにして仕事を小さく分割して片付けるかというのが大切だということです。いわゆる分割統治ですね。これはほんとにそうです。
極論するならば、いかなる技法もこの分割統治のためにあると言ってもいいんじゃないかと思うほどです。
たくさんの情報をいっぺんに処理できないので、分割するしかないんですね。これは書く側だけではなくて、読む側もそうですから、そもそも分割することは理にかなっているのです。少なくとも人間が人間とコミュニケーションを取る上ではそうです。
本を章に分割することとか、さらに節に分割することとか。節が段落に分かれていることとか。全てがそうです。
仕事をしていると、自然にそのように分割して作業を行うことになるんですけれど、それを積極的に推し進めるという考え方があります。つまり、なんとなく分割統治になるのではなくて、意識的に分割統治するということです。
具体的には、1つの節を書くときに節全体をいっぺんに書こうと思わないということです。今はこの段落に集中する。他の段落のことはいったん忘れる。そのようにして1段落ずつ書き進める。しばらく書いたところでモードを切り替えて、今度は節全体を眺めて段落同士の関係を調べる。これは気持ちのレイヤーを切り替えて、分割統治を行っていることに他なりません。
それを助けてくれるのはアウトライナーなどのツールになりますけれど、アウトライナーを使うか、通常のテキストエディタを使うかというのは、実はあまり大きなポイントでは無いかもしれません。
そうではなくて、今どういうモードで自分が作業しているのか。どのような分割統治を行っているのか。それを踏まえて作業を進めることが大事なのではないかということです。
もちろんそんなに杓子定規に機械的に作業が進まないんですけれど、基本的にはしっかり分割して、その小さな部分に意識を集中させるのが大事なのです。
今便宜上小さな部分と言いましたけれど、実際には小さな部分とは限りません。抽象度を上げて作業をしているときには、物理的に大きな単位をまとめて扱うことはよくあります。章の構成を考えているときには節を扱いますし、本全体の構成を考えているときには章を扱います。つまり、その抽象度のレイヤーに合わせて扱う対象は変化します。それを意識するということです。
それはプログラミングとよく似ていますね。プログラミングはプログラムという大きなものを構成していますし、本の執筆では、本という大きなものを構成しています。具体的にやっている作業は違いますけれど、ちょっと抽象度をあげれば、どちらも大きなものを構成するために分割統治を行っていることになります。
ところで、そのようにしていろんなレイヤーで分割統治を行って、次第に完成に向かうわけですけれど、もしかしたら、結局のところやっている作業内容は同じなのではないかという疑問も浮かびます。分割統治しようがしまいが、同じことをやっているんじゃないかということです。
そうかもしれませんけれど、大事なのは、どれだけ作業が進んだか、作業者が意識できる所が重要じゃないでしょうか。別の言い方をすると、「ここの部分はもうできた」「ここの部分はまだまだできていない」のように進行状況を把握できるということです。
分割することによって「ここの部分」という参照が可能になるということもできます。分割しなければ全体がもやもやとしていますから、ここの部分もあそこの部分もありません。指を指して「この部分」というためにこそ分割はあるのでしょう。
実のところ、作業自体も分割せざるをえないといえます。というのは、1日に働ける時間は限られていますから、その働ける時間のスロットにどのような作業を割り当てるかを考える必要があります。そんなに機械的には行きませんけれど、目安としてそういう割り当てが必要になるでしょう。
そしてそのときにもまた「今日はこの部分に取り組もう」のように参照する必要があります。ですから、大きな成果物を部分に分けておくということは、本質的に大切なのだと思います。
さらに、意識して分割統治するという先ほどの考えに則って言うなら、「今日はこの部分に取り組もう」というだけではなくて、「今日の午前中は」「今日の午後は」のように、さらに細分化することも有益でしょう。
しかし、何事も物事には程度問題というのがあって、この細分化をやりすぎてはいけません。なぜなら、時間を細分化することによって、今度はたくさんの時間という新たな管理すべきものが生まれてしまうからです。そもそも、たくさんのものを1度に扱うことが難しいというので分割統治を行っているのです。それにもかかわらず、たくさんの細かい時間とたくさんの細かい作業を作り出して、全て管理しようと思っては本末転倒です。
ここには教訓があります。1つのストラテジーを極限まで推し進めることの危険性です。作業を分割すればいいだろうといって極限まで分割してはいけません。なぜなら今度は統治が難しくなるからです。
朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。
* * *
今回の話題も、加筆修正の後にメールマガジンの読みものにしたいですね。
いつもお読みくださりありがとうございます。
今日もまた素敵な1日になりますように。
この文章は、音声入力を利用して結城浩のマストドンに投稿したものです。