耳の痛み/問題解決における若いころの悩み/こんなふうに生きていきたい

耳の痛み/問題解決における若いころの悩み/こんなふうに生きていきたい

先週、耳が痛くて医者に行きました。診察によると、耳がだいぶ荒れていたようで、多分、耳が変な感じなので、気になって、無意識のうちに手が触れてしまい、かえって悪化したんだと思います。

点耳薬と痛み止めをもらって、毎日朝晩点耳薬を耳にさしていたところ、もうすっかり痛みはなくなりました。感謝ですね。

耳が痛いのは、あまり経験がなくて、でも気を散らされること甚だしいものがありました。まあ早めにお医者さんに行ってよかったですね。もうちょっと早くてもよかったかもしれませんが。

よく思うことですけれど、文章を書いたり、プログラムを書いたりする作業は、ある意味では、何もないところからものを作っています。作るための素材も、作る主体も自分の中から出てくるものなので、自分の肉体的、精神的状態は作業に多大な影響を与えます。気持ちの上で気にかかることや、肉体的に引っかかるものというのは、いわば仕入れ作業や建築作業に支障をきたすようなものです。

最近は特に、そのことを意識して注意するようにしています。どういう風に注意するかというと、何か引っかかることがあったらできるだけ早く解決しておくとか、こまめに休憩を取るとか、よくわからないけれど、引っかかるものがある感じがするなら、誰かと話したり誰かに伝えたりすることで緩和する。そんな活動を心がけています。

品質に「こだわる」事は大事ですけれど、それは必ずしも連続的に1つのことに取り組み続けるのを意味しません。むしろ逆かもしれませんね。心のどこかでは1つのことをずっと考えているのだけれど、気分転換をしたり、運動をしたり、インプットしたり。そういう別の刺激をいつも心がけておくのは大切でしょう。

なぜなら、1つのことに連続的に関わっていると、だんだん感覚が麻痺してくるからです。正座し続けると足がしびれるのと同じです。「こだわる」ためには、細やかな違いにも敏感になるために柔らかで繊細な心が必要です。そしてそのためにこそ、うまく気持ちを切り替える必要があると思っています。

様々な刺激を受けることや、うまく気持ちを切り替えるのは、自分の「こだわり」に対して、様々な角度から光を当てることに通じます。主観的に見たり、客観的に見たり、近くに寄ったり、遠くから見たり。様々な視点から、様々な角度から、その同じものを見ることによって、より良い「こだわり」が実現できるともいえます。

ですから、大変逆説的に聞こえるかもしれませんが、近づくために離れるタイミングが必要だともいえます。そして、足腰を鍛えておくことでフットワーク軽く運動できるのと同じように、心を健康に保つことで、フットワーク軽く考えることができると思っています。

若いときにプログラムを書く仕事をしていて、悩むことが大変多かったのですけれど、そのときにはまさに1つのことを続けて考えすぎていたように思います。近づいて近づいて問題に密着することで、問題を解決しようと思っていたのですが、それはずいぶん素朴で単純すぎる問題解決だったと思わずにはいられません。

しかしながら、当時の私にとっては、それ以上深く(あるいは広く)考えを揺さぶることができなかったのだろうなと思います。1つにはそれは、自分の傲慢さから来ている部分があると思います。すなわち、「自分の問題は、自分で解決できる」という傲慢さです。そんなことは全くないのに。学校での勉強が多少できることは、そのような「自分の問題は、自分で解決できる」という誤った自己認識を育ててしまったのだと思います。でも、それが全て悪いかというとそうでもないのが難しいところ。

あるときには、そのようなある種の傲慢さをまとう(まとわざるを得ない)状況は避けがたいと感じます。それが正しいこととは言えなくても、その時代の自分を支えてくれる可能性があります。

現在の私が思うのは、過去の全てを闇雲に否定するのではなく、「あのときにこうすればよかった」と後悔するのでもありません。またあのときの私は全て正しかったのような肯定をするのでもありません。

あのときの私は、こんなふうに考えて、こんなふうに行動した。それは全て正しいわけではないけれど、全てが間違っているわけでもない。その時々の自分の判断としては、仕方がない面もたくさんあった。現在の私は、その良いと思うところを伸ばし、間違っていたと思うところを正していこう。そんなふうに思っています。

全否定ではなく、全肯定でもなく。

現在の私は、過去の私や未来の私と同じように「生きている人間」なのですから、変化することはおかしくないし、間違ったことや正しいことを両方とも含みながら進んでいく。そんなふうに思います。

変化することそのものを恐れたり、変化は不可能だと思い込まないようにしたい。良いと考えることならば、どんどん変化することに躊躇しない。悪いと分かったならば、やめることに躊躇しない。

そんなふうに、心も身体もフットワーク軽く進んでいきたい。

朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。

 * * *

いつも私の話を聞いてくださりありがとうございます。

あなたの今日も素晴らしい一日になりますように。

2023-09-01 05:57:11 +0900

この文章は、音声入力を利用して結城浩のマストドンに投稿したものです。

[icon]

結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

Twitter note 結城メルマガ Mastodon Bluesky Threads Home