NotebookLMを使って「読書」しながら思ったこと

NotebookLMを使って「読書」しながら思ったこと

とある実用書をNotebookLMを使って読んでいました。かなり厚い実用書であるにもかかわらず、短時間(30分か1時間ぐらい?)で全部読むことができました。読んだというか、内容を一通りおさらいして理解したというぐらいでしょうか。ずっと積ん読になっていたものなので、ちょっと一息ついた感じがします。

ところでそんな「読書」をしながら「本を読む」というのは一体どういうことなのだろう、ということを改めて考えさせられました。私の暫定的な考えとしては、「知識を得るための読書」なのか「体験するための読書」なのかによって話が違うのかなと思います。そう簡単に二つを排他的に論じることはできませんが、あくまで大雑把な、雑な分類だと思ってください。

知識を得るための読書の場合には、素早く得ることでかなり助かる面があります。特定の目的があって、ある知識を自分の頭に入れておきたいとか、細かいところは後で調べるにしても、全体像を一通り知っておきたいということはよくあって、それは短時間でできるのならば、それに越したことはないと思います。

それに対して、物語を読んだり、小説を楽しんだりするときの「体験するための読書」というのは、早く読めば良いというものではありません。あるいはあらすじを知れば終わりというものでもないと思います。

もちろん、たとえばスリラーものだとかミステリーだとかラブロマンスだとか、そういう分野については、あらすじを知る意味はあるかもしれません。でも、たとえば『ソフィーの世界』とか、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』や、ルイスの『ライオンと魔女』といった物語を、あらすじを聞いて終わりにするのはもったいないことですし、それで何かを体験したかというと、あまりそうは思えません。

そんなことを思っていました。

2025-05-13 11:04:39 +0900

この文章は、音声入力を利用して結城浩のマストドンに投稿したものです。

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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